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浄土宗 照福山 顕光院 圓應寺 - 福岡 (円応寺・えんのうじ)

TEL. 092-761-1454

〒810-0074 福岡県福岡市中央区大手門3-1-7

史跡Historic spot

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照福院殿供養碑

黒田官兵衛孝高(如水)の正室光姫の墓石。福岡大空襲により崩れた墓石を1980年(昭和55年)に再建立。題字は第25 - 28代福岡市長進藤一馬の書。歴代上人の口伝によると、戦前の墓石内には照福院殿の毛髪も納められていたといわれる。


厚姫(阿津姫)の墓

黒田六代藩主・継高公息女厚姫(阿津姫)の墓

福岡藩六代藩主・黒田継高の息女。享保年間の藩政改革で知られた名君の息女として数奇な運命をたどる。 この墓は、厚姫君の没後から圓應寺に長らく祭祀されていたが、戦後の混乱期に行方不明となる。しかし、奇しくも厚姫200回忌に戻ってきたという、不思議な謂れがある墓石。厚姫は光雲神社の攝社堅磐神社の蔡神四柱の一つにもなっている。


累代の墓

玄洋社頭山満翁ほか累代の墓

国士無双といわれ、昭和の巨人とよばれた国家主義の第一人者。玄洋社の総帥として多くの思想の柱となった。アジア各地の独立運動を支えたことでも知られる。1944年(昭和19年)10月5日静岡県御殿場市で没。頭山家としての葬儀を執り行うため福岡入りした一行が、博多駅から圓應寺までの距離を提灯行列で見送ったという前代未聞の出来事もあった。圓應寺には峰尾夫人との夫婦共作による書「夫婦相和」がある。琴瑟相和する姿を伝えている。 (瑟とは中国伝来の大型の琴で、二人で奏でる大小の琴が美しい音曲を作り出す例えから、夫婦円満を表す言葉となっている。)


二川相近の墓

二川相近の墓

福岡藩十代藩主・斉清の在世時、今様黒田節の作詞者として知られた国学者。現在、歌われている黒田節を作った。


弁財天堂

弁財天堂

荒戸山に忠之公が東照宮を建立する際、ひと月の間堂祠を建て徳川幕府開祖の家康公・東照大権現を奉る。東照宮が建立し奉納された後、その堂祠には寺の鎮守として東照神君ご神体を下賜され、三位一体となるべく弁財天・大黒天を左右配しこれを祀った。これは黒田家と徳川宗家との深いつながりを物語っている。明治に入り東照神君への信仰は稀薄となり現在では弁財天堂として弁財天と大黒天を祭祀している。これらは空襲の際、福岡市内は見渡す限りの焼け野原と化したにもかかわらず、奇跡的にも焼失を免れた。


無縁佛地蔵尊

無縁佛地蔵尊

三界萬霊を祀る地蔵で、福岡大空襲の簀子地区戦災者も眠る。


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